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青山吉良 氏 インタビュー!「COUPLES 冬のサボテン」スペシャルサンクス

アヴァンギャルド×コンプレックス第一回公演「COUPES 冬のサボテン」は1980年代の4人のゲイの物語です。

そこで私たちにゲイカルチャー“ゲイとして生きる”ということを教えてくださるのが俳優の青山吉良さん。

彼は表型・裏方として演劇にドップリな人生を送り、そんな中40代を迎えた時に『ゲイをカミングアウト』しました。
そこから彼の人生は大きく変わったとおっしゃいます。

私たちアヴァンギャルド×コンプレックスは「演劇を演劇界の外に持ち出すこと」に強くこだわっております。今作「COUPLES 冬のサボテン」も多くの企業様やNPO団体様にむけて営業・広報活動に励んでおります。
その点においても青山さんにご協力をいただき、私たちでは手が届かないセクシュアルマイノリティ団体様やダイバーシティに取り組んでいる企業様にこの公演を知っていただき、「企業研修の一貫として」のご予約も多く頂いております。

今回は、そんな青山吉良さんに独占インタビューを敢行しました。
「生い立ち」や「性の目覚め」から「アヴァンギャルド×コンプレックスについて」などボリュームたっぷりに語ってくださってます。
ご一読くださいませ!!

自己紹介

岩男:小さい頃はどんな子供だったのですか?

芝居好きの家族に囲まれ、また、実家の前が映画館だったこともあって物心つく頃から芝居や映画が好きで、小さい頃から漠然と役者になりたいと思っていました。
高校卒業後、当時、俳優座養成所から大学に変わって3年目の桐朋学園演劇科に入学しました。

僕が俳優修行を始めた1960年代後半から70年代始めにかけて、アンダーグラウンド演劇の登場により、活性化された演劇シーンは大変盛り上がり、面白いところでした。そんな中、テント芝居から歌舞伎まであらゆるジャンルの優れた舞台を観れたことは幸運でしたね。

卒業後、文学座に入るのですが半年もしない内に離れます。蜷川演出*「泣かないのか?泣かないのか一九七三年のために?」(1)っていう舞台を観たことが大きなきっかけになりました。連合赤軍をテーマに当時の状況を切実に映したすごい舞台で、感動すればするほどそれで「お前はそれで何をするんだ?」と自分に返ってきて、自問自答を繰り返し、あらためて自分は「演技することの根拠」を探って突き進もうと決意。環境をリセットして早稲田小劇場の門を叩きました。

入って最初に言われたことがとても印象に残っています。

「私たちは演技について、自分たちが今まで考えていたことで“こう”だと思うことをやりますが演劇はこればっかりじゃない。資質もあるし自分が違うと思ったらすぐ他所へ行くことは悪いことじゃない。」

すごく納得できました。一般的にしか演技を語れなかった今までの現場との違いを感じました。いわゆる早稲田式の肉体訓練で育った世代です。この鍛錬はただ身体を鍛えるだけではなく、自分の身体に向き合い、その日の身体から出発して、繰り返しの演技を新鮮に生きるための方法論でもありました。

自分が舞台の上で演技することを具体的に意識的にできた、当時の早稲田小劇場の稽古現場は、とても創造的でした。

そして、早稲田小劇場が本拠地を富山に移す時に退団。以前より演じたかった「ジュネ」の「女中たち」を渡辺守章訳・演出で上演を重ねたり、横浜ボートシアターにも参加。「小票判官」や「マハーバーラタ」など仮面劇に挑戦。舞台を続けておりました。

40代になり、舞台役者のための事務所を立ち上げます

10年後、事務所と俳優の二足のわらじで大忙しの中、脳梗塞を発症します。幸い障害は残らずに済んだのですが、原因不明のため一ヶ月の入院。結果、心的ストレスが原因と判明。その後、事務所を1年掛けて解散。残された時間をやりたい芝居をやっていこうと、当時知り合ったゲイをカミングアウトしている劇団フライングステージに出演したり、友人と50代の芸(ゲイ)をテーマにした芝居を立ち上げたり、また、そのことから映画「メゾン・ド・ヒミコ」に出演したりしました。

そして、脳梗塞から3年後、今度はガンが見つかり、16時間の摘出手術をして無事に生還。5年後の検査で再発も転位も無しと診断していただきました。

現在は「青山吉良 ひとり語り」と称して、戯曲の一人語り会を定期的に開いたり、Youtubeで「トモちゃんとマサさん」という60代と70代のゲイの老人をテーマにした新形式の連続ドラマ(好評で続編を製作中!)を作ったりしています。

*1 清水邦夫による戯曲。副題「にぶき光の残酷ショー」。1973年10月、蜷川幸雄の演出により、劇団櫻社が初演。

「性」の目覚めについて

岩男:これから今回の「冬のサボテン」のテーマであるLGBTというところに深掘っていきたいと思います。

僕の場合は子供の頃からですね。性への目覚めって人それぞれだと思うのですが。

小学校の時に好きな友達の名前を書きなさいと言われた時に、その「好き」の意味が違ったり。中学校1年生位の時に、「やらしいこと考えると勃っちゃうんだよね」とかみんなでワイワイ話してときに「やらしい」と思うことが、彼らと違うことに気づかされます。

そういったことの積み重ねで、あ、自分はみんなとは違うマイノリティな人間なのだということを確信します。
もちろん人に言えないので1人で秘密にしていましたけど。

ただ、自分にとって同性を好きなことは当たり前のことで、悪いこととか、いけないことと思ったことは一度もありませんでした。

若い頃は新宿2丁目とかも行かなかったし、電車や映画館でチカンに会うくらいでゲイの人との出会いはありませんでした。
*薔薇族(2)とか*アドン(3)とかゲイ雑誌は読んでいましたがゲイの友人はいませんでしたね。

僕がカミングアウトしたのは40歳を過ぎてからです。

*2 1971年創刊の男性同性愛者向けのゲイ雑誌
*3 
1974年5月号 – 1996年末まで日本で出版していた男性同性愛者のためのゲイ雑誌

岩男:恋人のような人はいらっしゃったのですか?

思春期にはいませんでした。すごく抑圧された時期でした。

思い出すがあるんです。
和歌山に海に向かって開いている洞窟の温泉があるじゃないですか、その洞窟の温泉から素っ裸で海に向かい両手を上げて大きな声で叫んでいる。という夢。起きたときになんて悲しい夢なんだろうと思いました。抑圧されていたんですね。それを夢の中で解放したいって気持ちが出て。

単純な分だけ自分が可哀想でみじめにになっちゃいました。こんな夢見るなんて。

付き合う相手ができたのは20代半ばでした。今から見れば、パートナーというより、“セックスフレンド”に近い感じです。それでも一緒にいる時間が楽しくて、彼とは7年近く続きました。

それまでは、あんなに芝居や稽古が好きだったのに、始めて付き合ってる相手と一緒に居る時、「稽古に行きたくない!」と思った自分にびっくりしたのをよく覚えています。

中西:それは人とコミニケーションを取ることが楽しかったということですか?

そうですね。セックスは自分1人じゃないから面倒くさいこともあるけど、ちゃんとコミュニケーションできた相手とは、別れても、なんだか親戚みたいに親しくなることが多いです。もちろんひどい別れ方をしないことが前提ですけど。

若い頃から人と一緒に寝るのが苦手で、コトが終わっても寝る時は別々が多かったですが、その若い子とすごく上手くいって終わった後に、なぜか腕枕してくれて、普段は離れるところを。そのまま一緒に寝てしまいました。久しぶりにぐっすり眠れたので驚きました。

そういう新しい自分を発見できるからセックスもお芝居も面白いゲイで役者で良かったと思っています。

岩男 ゲイをカミングアウトしたのはいつ頃だったのですか?

もちろん、若い頃から信頼できる友人や仕事仲間には自分がゲイであることを伝えていましたが、公にカミングアウトしたのは前述のフライングステージに出た時です。舞台の案内状に「ゲイをカミングアウトしている劇団に出演すること」「自分もゲイであること」「ゲイの表現者として行きていきたい旨」を書きました。それまで自分の舞台を観続けてくれた人たちを中心にカミングアウトしたのですが、いつも以上に多勢の方に観ていただき、励まされました。

その舞台の初日、すごく稀有な体験をしました。

悲しいシーンを演じていて涙があふれ、止まらなくなってしまったのです。感情移入とかではなく、カミングアウトしたことで初めて、裸の自分を放り出せ、そのことで役の感情が自分の中から息づき出し、涙が溢れ出てきたのです。それまでも舞台上で解放できていたと思っていましたが、心の解放はできていなかったことに気付きました。

ゲイで辛かったことと良かったこと

岩男:ゲイであって辛かったこと良かったことを教えて頂きたいです。

若い頃は周りにゲイの友人や仲間がいなかったので、圧倒的にマイノリティーになってしまい、寂しかったことはあります。

僕はゲイだということは特別なこととは思っていませんが、ただ、表現の現場で、みんなと違う視線から物事を見ることができたのは良かったと思っています。
昔、歌舞伎役者は士農工商以下の身分で、そこからの視線で、舞台の上で、身分の高い役から低い役まで自由に演じ、自分たちより身分の高い観客の前に立つ。この構造はマイノリティーとして普段不自由にしている分、作り物の中で自由になろうとしていた当時の自分には無縁ではありませんでした。

岩男 :「冬のサボテン」でいうとあの4人ないし5人の絆ってありますよね。若い頃によくある、秘め事をあまり周りに言えなくて、でもこの中では認め合えてる、みたいな。似たような経験はありましたか?

残念ながら、学生時代を含め、若い頃の僕の周りにはゲイで有る無しに関わらず、そういう友人、コミュニティーはありませんでした。

永田:それは隠しているとかもあるんでしょうか?

そうだと思います。ただ、多様性を認め合おうとしている今とは違います。

一般的にはゲイということが“セックスの趣味の話”としてしか語られていなかった時代です。中には「お前、ひょっとして男好き?でも俺、無理だから」と言われたりもしました。でもそういうこと言う奴に限って、どんなにお願いされても、絶対無理というパターンが多いものなんですよね。。

LGBTの捉え方や時代の変化について

中西:日本と海外でのセクシャルマイノリティーの認知の違いはどういうところにあると思いますか?

昔と比べて、理解は確実に進んできていると思います。
今年の『レインボープライド』もLGBTの当事者だけでなく、理解者(アライ)の人達もたくさん参加していていました。また、たくさんの企業協賛、各国大使館や各党の政治家たちの参加など、本当に大盛況でした。
自分も参加したのですが、パレードの列は本当に途絶えませんでしたね。ちなみに僕は先頭のグループを歩かせてもらいましたが、ニュースにバッチリ写っちゃいました(笑)

しかし、一見社会的に認められているように見えても、国会議員の「LGBTは生産性がない」などの発言があったり差別の根は無くなってはいません。自分が立っているところをちゃんと見て、意識して声を上げていくべき。そう自分に言い聞かせています。

重要なことは、LGBTに限らずにやっぱり内側を見るんじゃなくて、客観的に外側から物事を見れているかという点に尽きると思っています。

僕は一時期、海外で長いこと公演させてもらっていました。1つは、パリのオルセーが美術館じゃなくてまだオルセーの駅だった頃、そこで*ジャンルイバロー(4)って人が使ってた3つの劇場で。そこの中劇場で*「トロイアの女」(5)をやりました。

ジャンルイバローさんは女性の楽屋の前にバラの花を1本プレゼントしてくれ、僕は女の方のコロスだったから僕の化粧台の前にもちゃんとバラの花が1本置いてあったりして。とてもすてきだなと思ったんです。

一方日本を見てみると、自民党の議員の発言で「LGBTは子供をつくらず生産性がない」とかの発言があったり。メディアにより切り取られている可能性もあるから一概には言えないけど、そういう売られた喧嘩は買わなきゃいけない。

根底にある思想をたどると、ナチが精神薄弱としてゲイを全部抹殺したのとつながります。
ああいう人が国会議員になっているって言うことに対しては、ちゃんと考えて歴史を勉強して欲しいと思います。

別にゲイのことは知らなくていいからって思うけど。ああいう人を久しぶりに見ちゃうと、そういうものと戦いたいと思ってしまう。いろんな理不尽な事件や酷いことに対して戦っていきたい。

ここんとこあんまり若い人が海外に向いてない気がする。別に舶来が素敵だって言うことではなくて、結局違うものと向き合った時に自分が見えてきたり、自分を考える糸口になったりするので、海外は行った方が良いと思っているんです。
そして、それも知識として知るだけでなく、自分の目で見て感じることは大事だと思っています。

僕はあまり絵とかは好きじゃないから美術館とか嫌だったんだけど、オランダに行った時たまたま半日時間があったんで市内観光した時にレンブラントの「夜警」って言う大きな絵を観た。

その絵の前に立った時に好きとか嫌いとかはちゃんと本物を見てから言わないといけないと思いました。”本物”とはこんなにも胸に来るものがあるのかと。

*4 フランスの俳優、演出家、劇団主宰者。
*5 ギリシャ悲劇の演目。

 

海外に行って知らない文化に触れることで、飛行場にしたって「海外はこんなに綺麗なのに羽田はどうしてあんなに汚いんだろう」とか、日本はどうなんだろうとか僕の周りはどうなんだろうとか、リアルに感じることができる。
だから外を知るって言う事は結局自分のことを知ることだと思うんです。

これは僕がゲイだからモノを違う視点で見るっていうことを普段からしていたのかもしれない。
外の素晴らしさに「ブラボー!」ってなるんじゃなくて、「じゃあこっちはどうなんだろう」ってそういう思考ができた事はすごく素敵なことでした。

このように物事を複眼で見ることが出来るって言う事は、ゲイだった僕が舞台に立ってお芝居をしていたから出来るようになったんだと思う。だからやってよかったなって思います。

それはもしかしたら、自分がゲイでゲイの友達としか話すことができなかったっていう青春時代が影響しているのかもしれないけどね。
でもそれはゲイって言うことよりかは見方の問題だと思う。表現することもそうだけど、外からの視点や第2の視点もってやつが大事ですよね。

「COUPLES 冬のサボテン」について

岩男:「COUPLES 冬のサボテン」を読んだときに何を思いましたか?

とても親しみを持って読みました。ゲイであることをオープンにできない時代の自分を見てるみたいな。
そんな時代に、仲の良いグループの中でどういうことが起きていたのかがきちんと描かれていると思いました。

特に関係がすごくうまく描かれていて、LGBT以外の人たちにも、「冬のサボテン」のキャラクターたちが感じている不自由さだったり、抑圧だったり、を共感してもらえると思う。だからそこは丹念に演じて欲しいと思います。

多様なセクシャリティーが顕在化している現在は、自分はゲイだということを引き受けた上で、どう生きていくのかというように、ゲイの有り様も変わってきていると思います。そこにつながるフジ男(永田 演)が感じていることはとても大事なことだと思います。

永田:震えるお言葉ありがとうございます(笑)ちなみに、青山さんならどの役を演じますか?

今の僕ではどの役も無理ですが、具体性を考えないなら、やってみたいのはフジ男ですね。

フジオの感じていること、ゲイとしての考え方みたいなものはスーッと入ってきます。

中西: “当事者性”というのはとても重要な要素だと思います。その中で、ゲイではない僕たちがこの作品をやる意義はあると思いますか?

演じる上でゲイで生きるってどういうことなんだろう?自分だったらどうなんだろう?と単純な問いから出発して、セクシャルマイノリティーは、自分たちと何が違って何が同じなのか、理解や認識を深めていただき、観客に向けて表現する。
その過程自体、すばらしいことだと思います。この作品に書かれている4人のゲイの関係は本当に面白いと思います
あとは、役者として、どうこの関係を活き活きと演じられるかにかかっていると思います。

 

岩男:最後に、世代も状況も違う僕らに期待していることや、こうあって欲しいみたいなものはありますか?

思う存分やりたいことをできる期間って本当に限られていると思います。このチームでは、一緒に創ることの幸せを目一杯噛み締めて欲しいと思います。

そして、定期的に同じメンバーでやるんだったら、互いに向き合い成長していける良い機会です。
皆さんだったら演劇をやる場は役の大小を問わなければオーディション受けて作れるでしょう。それでも自分たちで芝居の現場を立ち上げていくことの素晴らしさを舞台から感じさせてほしいです。

そうするためにも、ぶつかり合いを恐れずやっていって欲しいです。ぶつかるって事は「お互いをどう必要とするか」ということにつながります。そこから見えてくる景色も沢山あると思います。

岩男:アヴァンギャルド×コンプレックスという団体に対しての期待はありますか?

せっかくなら長く活動を続けていてほしいです。その中から、メンバーが素敵な俳優になってほしいと思います。最近は俳優が育つ場がほんとうに少ないと思うので。

本来なら、俳優の養成所を作るのなら、新国立劇場の専属劇団を作るべきだと考えますが、そんな原則論を言っても始まりません。アヴァンギャルド×コンプレックスが発展して新しいムーヴメントを産みだすことを期待しています。

岩男:嬉しいお言葉ありがとうございます。期待に応えられるよう、ワクワクを絶やさず邁進し続けます!

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