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Actor×Translator Numero 4
「The Collection」無事終演!
2018年6月、Triglavの1st work「The Collection」が終演し、その2日後、僕はハワイに旅立った。
ハワイの朝日というものは非常に気持ちがいい。
しかし、実はこの時、日本では僕の翻訳作品第二弾が上演に向けてガンガンに動いていた。
新国立劇場演劇研修所7期修了の先輩、野坂弘さんが主宰する地平線の公演、「タイピスト」である。
「タイピスト」の翻訳は「The Collection」の稽古が始まる前、4月終わり頃に既に上げていたので、野坂さんの温情でハワイ行きが許された。
“対話”で作り上げた翻訳
翻訳のお話を頂いたのは2018年1月末。野坂さんから突然電話が来た。
「劇場の見学しに来ない?今日なんだけど。」
本当に突然のお誘いであった。だが劇場見学などあまりする機会もないので、是非というお返事をした。
その後すぐに待ち合わせ、劇場見学。そして劇場見学もほどほどに済ませ、野坂さんとお茶をすることにした。東高円寺のドトールである。
詳しい会話の内容は覚えていないが、「なぜ翻訳をし始めたのか?」「翻訳してみて、どう?」など、色々なことを話した気がする。
そして
「翻訳してくれない?」
その瞬間はまたも突然であった。
翻訳のキャリアなどほぼ皆無な僕に、翻訳を依頼してくれたのである。
僕はフットワークの軽い(無責任な)男なので、二つ返事でその依頼に応じ、その場で「タイピスト」(作:マレー・シスガル)の原文を取り寄せた。男女二人芝居、女上司と男部下のお話である。
ただ僕自身、1月末から新国立劇場主催公演「赤道の下のマクベス」の稽古があり、翻訳に本腰を入れられるようになったのが3月頭くらいからであった。
3月頭から空いてる時間を全て費やし、翻訳をし始める。
翻訳をし始めて、一番最初のト書きでつまずく。
俳優陣は上演中、同じ服を着ることになるが、互いの体格の変化に適したものに変わる—変化が起こる瞬間は巧妙に、ほぼ気付かれないように—それは上演中に行われる。
内容を詳しく知らずに翻訳し始めているので、このト書きの意味が全くわからない。自分の翻訳が間違っているのか、自分の日本語理解力が低いのか、パッパラパーである。
「タイピスト」を観ていただけた方なら分かっていただけるであろうが、この作品に出てくる登場人物は、上演中にしれっと年齢を重ね、戯曲頭では若者であった男女が、戯曲終盤では老人になっているのである。
年齢を重ねるというト書きが作中に何度も出てくるので、それで最初のト書きのカラクリには気づくのだが、次に課題になってくるのが、翻訳でいかにその年齢経過を匂わせ、さらにどれくらいの度合いで言葉遣いに変化が見られていくのか、ということである。
俳優としてこの役を演じたとしても難しいチャレンジにも関わらず、キャリアの浅い翻訳でこの作品に挑まなければならない。非常に燃えるものがある。
まずは初心に立ち返った。なぜ自分が翻訳を始めたのか。自分が翻訳をする意義とは何なのか。
それは過去に書かれた作品を現代の感覚で再び世の中に送り出すことである。
言葉をより新しく、現代人の感覚にフィットするものを割り当てることである。
じゃあ、この「タイピスト」という作品にその感覚を割り当てた時にどうなるのか。
それは「現代の中年・老年の方々の言葉もどんどん若者化している」ということである。
だから言葉遣いを無理やり老人ぽくだとか、若者ぽくだとかする必要はそこまでない。あくまで登場人物二人の関係性が年齢を重ねていくにつれて、いかに深まっていくか、そこを抽出することが何よりも大事だ、そう考えたのである。
それを強く意識しつつ、約一ヶ月で第一稿が仕上がった。
そこから更に一ヶ月、野坂さんとの間で何度も何度もやり取りを繰り返した。
自分でも正直、納得のいっていない翻訳が何箇所かあった。野坂さんの嗅覚は的確である。その納得のいっていない箇所を確実に突いてくるのである。
何度翻訳しても、日本語に置き換えた時にどうしても意味が伝わらない。きっと自分の中でもその台詞が何を主張したいのかという部分が曖昧になっていたのかもしれない。
「お客様に伝わらなければ意味がない。」
そんな翻訳の壁に突き当たっていた時に野坂さんから言われた言葉である。僕は翻訳をする上で、いかに原文から逸脱せず、でも日本語の台詞として成立させるか、それにこだわっていた。もちろんその意識は大切だし、これからもそうありたいとは思う。それがある種、冷静に翻訳をするためのルールだと思うから。
しかし、台詞としてお客様の耳元に届いた時、俳優がその台詞を発する時に、言葉のイメージが鮮明にならなければ、それは翻訳失敗と言っても過言ではないのだと、その時に思い知った。
そうなった時に、“日本語”として翻訳したものを、いかに“台詞”として飛躍させるか、そこが戯曲翻訳家としての個性の見せ所ではないかと思ったのである。
翻訳家として苦悩する私
そして改めて、何度も何度も野坂さんとやり取りを繰り返し、やっとの思いで俳優さんにお渡しできる台本が完成したのである。
「タイピスト」の打ち上げにて野坂さんに
「第一稿はボロカスだったよ。」
と言われてしまった。今の僕はその言葉を糧に新たな翻訳に挑戦している。第一稿から精度の高いものを。
ダメなものはダメとはっきり言ってくれる素晴らしい先輩を持った。また共に仕事ができるように精進していこうと思う。