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Actor×Translator Numero 3

結局、上演したのはピンター。

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戯曲を読む会で「BLUE/ORANGE」のブラッシュアップに勤しんでいた2017年12月。実はそれと同時にもう一本並行して、翻訳をし始めていた。

それがTriglavの旗揚げ公演「The Collection」(作:ハロルド・ピンター)である。

本当は旗揚げで「BLUE/ORANGE」を上演するつもりで話を進めていた。しかし実際に上演するとなると適当な俳優を見つけなければならない。黒人精神病患者と担当研修医の二人に関しては年齢面も含めて目処が立っていた。しかし指導教員ロバートに相応しいスケールを持った俳優さんを短い準備期間で果たしてキャスティングできるのだろうか。

キャスティングの難しさをひしひしと感じ、「BLUE/ORANGE」の上演計画は暗礁に乗り上げた。

「何か良い戯曲ありませんか…?」

僕たちにはいわゆるアドバイザー的な存在がいた。大学時代の恩師である。恩師には学生時代からことあるごとに助言を求め、その度に様々なヒントをもらっていた。

今回も藁に縋る思いで助言を求めた。僕たちがチャレンジするにふさわしい戯曲。

「あるよ。」

恩師は紙束を引っ張り出してきた。それが「The Collection」(作:ハロルド・ピンター)だったのである。夫婦とゲイカップルの中で巻き起こる愛憎劇の4人芝居。

ピンター戯曲の中でも日本での上演記録があまり無い作品であり、調べてみると日本で商業的に上演された記録というのは1988年、銀座セゾン劇場で上演されたものまで遡る。夫婦役を竹下景子さんと蟹江敬三さんが務めた。

ひとまず読んでみる。

「言葉が古い!」

全くもって他意は無い。翻訳されたのが1977年であり、現代の日本語の感覚とズレがあって当然である。内容よりもそのズレに引っ張られてしまって、初見では戯曲の面白さまでたどり着くことができなかった。

「だったら自分で翻訳しちゃえばいいや。」

相変わらず軽率である。しかしこの瞬間、僕が現代を生きる俳優として翻訳に挑戦する意義を見出せた気がした。

良い戯曲には何らかの普遍的なテーマが描かれており、後世まで残る戯曲にはその普遍的なテーマがより力強く描かれている。「The Collection」にも“真実の愛”、“男と女”、“権力”など、現代でも色褪せないテーマが根底を流れていた。

そんな戯曲を現代の感覚、現代の言葉で再び世の中に産み出すということに意義があるのではないか。そう思ったのである。

翻訳し始めた。

ピンターの使う言葉は非常に平易である。「BLUE/ORANGE」のようにスラングが出てくるわけでも、難解な医療用語が出てくるわけでもない。しかも長台詞なんてほとんどない。積み重ね積み重ねのダイアローグで戯曲は紡がれていく。

しかし明らかに異質であったのは間の取り方と間の多さであった。

日本人特有の文化として“腹芸”というものがある。自分の気持ちや考え方を表に漏らさない。“空気を読む”というのとかなり近いかもしれない。

そんな“腹芸”がこのイギリス戯曲に点在しているのである。

つまり翻訳をしながら、同時に役の思考を強く意識してしないと、ピンターの描こうとしていた世界からかけ離れたものになってしまう。

「BLUE/ORANGE」とは全く違う気の使い方、難解さである。しかし自分が俳優教育を受けてきたからこそ出来る翻訳方法なのではないかとも感じた。

演出家 新井ひかる(左)と衣装家 岩男海史(右)

そして2018年4月、いよいよTriglav 1st work「The Collection」の稽古が始まった。稽古場に俳優としての自分と翻訳家としての自分が同時に存在していることになる。

稽古場に翻訳家兼俳優がいることは大きなアドバンテージであったように思う。もしも既成の台本で稽古に臨んだ場合、“台詞に存在している作家の意図”を“翻訳家の意図が介在した台詞”から汲み取らなければならない。作家とも、翻訳家とも、ちょっと距離のある状態で作品が立ち上がっていく。

しかし翻訳家が稽古場にゼロ距離の状態で存在していることで、俳優及び演出家は「作家が何を意図して台詞を書いたのか、そして翻訳家がどのようにその意図を汲み取って翻訳したのか」ということを直接聞くことができる。そして自分の考えを述べる場ができる。まさしく【コラボレート】の構図である。

俳優や演出家のみならず、関係者全てがこの戯曲とコラボレートしていた稽古場は非常に豊かな空間であった。

〜to be continued~
 

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