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本名です”いわおかいし”【岩男海史インタビュー】
第1回公演に向けて本格始動。“まずは私たちをを知ってほしい”
今回は本格始動にあたり、まずは私たちを知って欲しくセルフインタビューを開催しました。
今回は代表、『岩男海史』へのインタビューです。
アヴァンギャルド×コンプレックス
『演劇は人を繋ぐ』を理念に様々なコミュニティや地域と関わりながら演劇の可能性を模索することを目指す演劇団体。新国立劇場演劇研修所第10期生の中の4人により設立。演劇の枠を超えた表現を得意とする。
第一回公演“LOVE×コンプレックス”『COUPLES 冬のサボテン』
2019年10月31日~11月4日@下北沢小劇場 楽園
「0歳から演劇に触れる」芸能のサラブレッド家庭??
▲芸術が常に近くにある岩男家の様子 (リビングに聳える妹が高校時代に作った愛犬のオブジェ。怖い&邪魔…)
Q.どうして演劇をやり始めたのか?そのきっかけを教えてください
私は家庭環境から芸能と深い関係にありました。
父親は衣装中心ですが、企業のロゴやビルの内観のデザイン等も手がけるデザイナー。そして、母親はほぼ演劇の舞台衣裳さんということで、僕自身演劇・芸能の場とは近しい環境に育ちました。私がお腹にいる状態で母は演劇をやっていたので、言うならば0歳から演劇と触れていることになりますね。
実際に「演技」に初めて触れた機会としては、小学4年の学芸会で上演した「ガンバの冒険」が最初です。当然、主人公であるガンバが演りたかったのですが、残念ながらオーディションで落ちてしまいました。当てられたのは「ジジイネズミ」みたいな人気ないけど重要な役でした。悪ものに殺されちゃうんだけど、意外とそれが楽しかったのを覚えてます。
ただ、小学生当時はあまり演劇自体は好きではありませんでした。自分の中で忘れられない思い出としては、小学5年生の時にラサール石井さん主演・演出で「こち亀」の舞台があって、母親が衣裳を担当したということで連れて行ってもらいました。誰もがこういう時期はあると思うのですが。僕はその頃、親の仕事が嫌で嫌でしょうがなくて笑、でも親は「あなたはこれでご飯食べてんのよ!」ということでむりやり連れてかれました。そしたらずっと客席で目を隠して見ないようにしていて、、こんな感じで。。
▲これはひどい。今思えば本当に失礼ですよね。。
その後、中学時代は一生懸命テニスをやっていたのですが、パッと辞めちゃって高校からは帰宅部になりました。流石にその頃は演劇反抗期は終わっていて。その時に母親が内村光良さんやさまぁ~ずさんの衣裳を担当していました。僕は当時(もちろん今でも)その方たちが大好きだったので、高校から帰ったら喜んで母の衣裳を手伝うようになりました。
Q.実際に俳優を志すのは、どのようなきっかけだったのでしょう?
16才の頃から衣裳やっていると、俳優さんとお話する機会も増えました。現場に高校生がいるわけだから皆さんめちゃ可愛がってくれるんです。
そして、そのお仕事を見ていると、、俳優って本当に楽しそうに見えて、楽しそうなの見てたら子供って自然とやりたくなっちゃいますよね。。俳優へのきっかけはそんな単純なものでした。
初舞台は高3の3月頃。ワークショップの発表公演でした。お金頂く初舞台としては、翌年の8月、諸星和己さん主役作品です。僕は稽古場代役で入ってたんですが、そこから演出家さんに直談判して「頼むから本番も使ってください!」って頼みこみ、出演させていただきました。その作品はAKBの篠田麻里子さんも出ていたりで。今考えると華々しい初舞台でした。
そのあと何回か舞台に立つうちに、改めて「俳優になりたい!」というのを家の中で宣言したのですが、それはそれは大反対を食らいました。昔から「子育ては自由に」とか言ってたのに、手のひら返しで反対されてしまいました(笑)まあ、母親は母親で俳優って本当に大変で理不尽な世界って身をもって知ってるから心配だったんだと思います。
そこから、今までで累計30本くらいは出演させていただいてます。もう9年になりますね。そろそろ何か成し遂げたいです、はい(笑)
「演劇のスタンダード」を学びに新国立劇場演劇研修所へ
▲新国立劇場演劇研修所時代の稽古風景(奥 髙倉・右 永田)▲
Q.新国立劇場に入るまでの経緯を聞かせて下さい
まず、新国に入るまでに4年間役者として活動したのですが、全く芽が出ませんでした。となると、自分はきっとブッチギリの天才ではないんだろうなと。ブッチギリの天才は4年もあればもう芽が出てるはずですもん。
そして、まずは自分を見つめなおします。当然イケメンではないし、卓越した天才でも無い。となったときに少なくとも技術を身につける必要を感じました。ただ、腕を磨こうにも日本って演劇のスタンダードが本当にないんです。
小劇場界で特に起こりがちなのが、その稽古場の中に社会が出来上がり、その中で演出家さんの発言力が強くなってしまうことです。見聞が狭い俳優さんにとっては、その演出家の思う“いい芝居”がこの世のいい芝居になってしまう。俳優側にしっかりとした演劇に対する基盤のようなものがあれば問題ないんですが、それがないとかなり振り回されてしまう。それがとっても嫌で、「とりあえず基礎を学ばなきゃ!」てなりました。
そこで、基礎が学べる場所ってどこだろうって考えたらまずイギリスだなと(笑)ということでイギリスに学びにいったんです。
イギリスに行ったらまず、レミゼに出てたヒュージャックマンが通ってたミュージカルスクールみたいのがあって、そこに訪問してみました。頭おかしいと思うでしょうけど、入るつもりで学校説明みたいなのを受けました。ただ、その段階で何かに満足しちゃって。。挫折というか、自分の興味が薄い事に気付きました。
イギリスでの経験は、むしろ自分の価値観を考える機会としての方が大きかったです。
現地で多少友人もできると「海史は何をしてるの?」って聞いてきます。そうなると自分自身にもプライドがあるので「ジャパニーズアクター」って答えちゃうんです。
そしたら「ニンジャー!」とか「サムラーイ!」とか言われて。。ジャパニーズアクターは誰でも和服が着れて日本刀が振れると思われてました。ブラジル人だったらサッカーうまいんでしょ?みたいな感覚ですかね。それを言われた時、自分が海外に立った時に日本人俳優として何にもできないことに気づいて、何より自分にショックでした。そういうことがあって、帰国して直ぐに日本舞踊を始めました。今では自分の特技となっています。
また、日本に帰ってきてから本格的に演技を学べる場所を探しました。簡単に見つかったのが俳優座、青年座、文学座とかいろいろ王道。その中で単純に「新国立劇場演劇研修所」って名前に惹かれちゃって。特に「国立」って名前に惹かれてました。
しかも、当時シェイクスピアとかそういう翻訳劇が嫌いだったんです。そういう嫌いで触れてこなかったものを学べそうなのは自分にとって必要だろうなと思いました。
実はその新国研修所の存在を知ったのが願書提出期限の2日前。そこから急いで願書書いて郵送じゃ間に合わないから急いで直接出しに行きました。
もう二度とやんないでくださいって怒られましたね笑
Q.新国立劇場で学んでみてどうでしたか?
まずは、「プロ意識」というものを叩き込まれましたね。
新国入る前の自分にプロ意識があるのか聞いたら、当時の自分は「ある」と答えると思う。でも今の自分からすると「全然ねぇじゃねーか」となる。それは、十年後の自分が今の自分を見ても同じことだと思いますが、いずれにしても演劇界第一線で活躍している講師陣に教えていただいたのは、とても貴重な経験でした。3年間で演劇との向き合い方は大きく変化したと言えます。
中西:新国入った時の海史の印象は、やばいやつという印象でした笑
なんか何もわかってないっていうか。どこまでいっていいのかどこまでいっちゃいけないのかその線引きができていないというか。でもやっぱり3年間一緒に過ごしてきて、本当に変わりましたね。
以前研修所のお手伝いしに行ったときに鐘下辰男さんが講師だったのですが、鐘下さんがみんなに「あのね、僕大学に教えに行ってるんだけれども、大学1年のときと大学4年の時で変わってるやつはね、お前誰ってくらい変わるんだよねぇ。でも変わってないやつはねぇ、お前、ほんと変わんねぇなっていうくらい変わらないの。」と言っていました。それで言うと、海史は前者ですね。
僕ら10期生は割とみんな3年間で変わったと思うし、新国立研修所は誰もが変われるチャンスのある場だと感じます。
段:個人的に岩男くんとは、小学校のころからの付き合いなのですが、特に新国にいた期間ですごく賢くなったなというのは感じました。それはもともと演劇に触れていた期間が長いというのもあると思いますが、素人である自分に対しても、とても理論的に説明してくれているんです。
ここまで説明できているのは、自分の中で理論が腑に落ちてるというか。そういう演劇の理論をを学んだというのは大きいでしょうね。演劇って感覚的な部分が多くて、人にきちんと説明するのが難しい芸術思いますが、それを岩男くんは語れているる。それは大きな変化なのかなと思っています。
岩男:なんだか恥ずかしい笑
今後もこの団体は「新国立劇場演劇研修所」を強く意識すると思います。恐れ多いけど、我々のルーツである場所に何か還元したいという思いはあります。
あと単純に僕からみてとても優れた俳優が数多く出ています。でも今現在、僕たちの評価はとても誇れるものではないし、当然成長や変化も必要です。ただ、少なくとも僕はここの修了生の実力と活躍の度合にギャップを感じている。だったら待たずに場所は自分から作らなきゃ。最も必要なのは「攻めの姿勢」、そう思っています。
衣裳家として・俳優として・起業家として
▲衣裳製作中の岩男。女性のサイズ嘘を見抜くのが特技になりつつ…
Q.新国で基礎を学んだ「俳優」、実家で磨いてきた「衣裳家」という2つのキャリアを歩んできた岩男くんですが、メインで活動しているのは「俳優」だと思ってます。それはなぜでしょう?
まず、2つの大きな違いは、衣裳は「有形の芸術」で俳優は「無形の芸術」である事だと思うんです。
俳優は身体表現なのでモノが無い、衣裳は服だからモノだらけ。それがどっちもの一番の魅力であり一番の難しさだと思っています。
衣裳はとにかく事前準備が必要というか、持っていくものが本当に多いんですよ。
舞台に立つ人10着分決めるのに、何百着も衣装を持っていく。実家の手伝いをしていた時には数少ない男手助手をやってたので、そこは嫌でしょうがなかったです。もっとイメージ絞って持って行こうよ、って。でも、それもOKを出すために大切なことだと今は分かります。演出家とプランナーのイメージは必ずしも一致してるわけじゃないから、その一致点を探すためにもNOが出る衣装を持ってゆくのは必要なプロセスなんです。
それに対して、俳優は身一つで良いわけです。簡単な着替えと台本さえあればいいわけで。それが羨ましいなと思うと同時に、なんか職人みたいでかっこいいなって思いました。
言うなれば、俳優は身体に衣裳倉庫が入ってるわけです。
当日必要なものはないですが、その引き出しを作るために事前に死ぬほど稽古をやらねばならんわけです。それどころか、稽古前に日常ですよね。殺陣や日舞、ボイスに歌唱。普段電車に乗ってる時の人間観察や恋愛の失敗体験まで。いわば日常全てが稽古です。なんて言ったらカッコいいですが、このフワッとした感じが危機感を生みづらくする。バイトなんかも大変ですしね。
話は逸れましたが、要は“身1つ”という美しさに俳優の魅力を強く感じます。
でもお金的なことを言うと逆で、無形の芸術である俳優は消費されやすいんです。衣裳では「これくらいのもの作ったからこれくらいは頂かないと」「いえ、この予算内からだとこれだけしか作れないです。もうちょっとやりたいならもうちょっと貰わないとできないです。」って言えますが、俳優だと「1ステ1万円だろうが10万円だろうがお前の100%出せよ」って言われちゃうわけで、これは辛い。だからいくらでも消費される。
なのでマネージャーさんや事務所は本当に大切だし、フリーでやる場合はそこら辺の見極めがめちゃめちゃ難しいと思っています。
Q.岩男くんは、アヴァンギャルド×コンプレックスっていう団体のリーダーであり、最近は「起業家」という側面も見えてきました。岩男海史としてどういう軸で生きていきたいかってのは聞きたいですね。
一つ人生観として大きいのは、小さいながら自らの会社で僕を育ててくれた親父の影響ですね。今まで話してきたのは母親の側面が大きいですが、父親にも強く影響されています。“船”が持ちたいっていう欲はここ数年でムクムク湧き上がりました。自分が矢面に立ちたいっていうか、一度きりの人生ならリスキーな状態に自分を置きたいって思うようになりました。
それに、団体を立ち上げようとなった時に、この4人の中だったら気質的に自分が向いてるんじゃないかとも思った。
というのも、僕は気が多いんです。人には「情熱家」とか「変人」て言われることもあるけど、自分では僕ほどビビリな普通人はいないと思っています。気にしぃなんですよね。
飲み会の時とかも誰かが退屈そうにしてるのがめっちゃ気になる。あの人僕のこと嫌ってるんじゃないかなとか、そういうのがどうしても気になっちゃう、ビビりだから。でも親譲りの打たれ強い心とか自分勝手さもあって、そのバランスが団体の代表に割と向いてるんじゃないかなと思いました。
いろんな人に演出家とかプロデュースのほうが向いてるんじゃないかって言われることもあります。衣装家もどちらかというと俳優よりも演出家目線なんです、プランナーだから。例えて言うならば、アクアリウムのようなものです。俳優は魚で、その中でいかに泳ぐかが超面白い。演出家はその水槽を作っていくというか。それがまた楽しい。たまにこっちのほうが向いてるんじゃないかって思うこともあります。
どちらにせよ両方とも最高に楽しいです。きっと色んな巡りの中でどちらかが大きくなったりするでしょうが、どれかの柱が完全に無くなるという事は無いと思います。
Q.他のメンバーから見て、リーダーとしての岩男くんはどうでしょう?
中西:なんだろうな。最初はね、リーダーとしての適性は感じてなかったのです。今思うとこんなに向いてるとはビックリです。いろんな人に気に入られたり、そういう才能は前からすごかったと思うんだけど、でもそれがこの団体にとってこんなに重要というか、なんていうのかな、総理大臣ではないんだけど官房長官みたいな。
でもまぁ官房長官とか外務大臣とか、本当に外にいかに発信するかというか、そしてそれをいかに調整するか。だから何かわかんないけど、例えば俺は総理大臣気質な気がする(笑)
海史がいるからよっぽど自由にやれてるというか。しかも俺には同じことが絶対できないと思うから、世間と対等に渡り合っていくということが。だからねそれは凄い。本当に頼りにしています。
演劇は「自分の場所を知るための芸術」
▲稽古中の岩男。このとき石川啄木役▲
Q.これから「アヴァンギャルド×コンプレックス」としてどのような演劇活動をしてゆきたいですか?
演劇って自分がどこにいるかを知ることができる芸術だと思うようになりました。人は日々の中で辛い時期や楽しい時期や、いろんなポジショニングがあると思うんです。辛い時・逃げ出したいときは逃げ出していいと思う。でも、そもそも自分が今どこにいるのか分からなくバルこともある。演劇は時としてそれを教えてもらえる「コンパス」のようなものである気がしています。
最初は自分も、「演劇はひたすら楽しむもの」という考えでした。金払ったら笑わしてくれよ、と。4年間小劇場を中心にやってるときは特にそういう考えでした。僕の母親もSETとか東京ボードビルショーとかコメディカルなものが好きで、辛い話とかを見に行くと「なんで金払って辛いものを見に行かなきゃならないんだ」という感じです。僕もどこかでその考えには得心がいっていて、シェイクスピア、ギリシャ悲劇とかつまらんて思ってました。大して見てないくせにタチ悪いですね笑。
でも次第に演劇の感想である「楽しく笑ってスカッとした!」とか「パワー貰えました!これで明日からも頑張れます!」ってのに若干の違和感を覚えるようになりました。それって思考停止なんじゃないかな?って。
もちろん、そういう作品もあって良いし、僕もお笑いとか大好きです。でも、演劇にしか出来ない事って考えると、もう少し別のアプローチかなと思ったんです。
日々の悩みの中で今日がある。舞台を観てスカッとして次の日からもまた耐える、って何か勿体無くて、せっかくなら演劇を見た次の日から人生がちょっと変わったほうがいい。ほんのちょっとでいい。嫌な事から逃げるのか、または立ち向かうのか。
そういう視点でみると、シェイクスピアとか面白いんです。僕は特にマクベス好きですね。マクベスがどんどん没落していく瞬間とか、あ、ここでこいつ人生間違えたなって瞬間とか。それで「あれ?これ今の俺じゃね?」って。
例えば今回の「冬のサボテン」だったら、今自分が人にどう尽くしているのか、尽くせてないのか、愛をどう思っているのか。そういうのをキャラクターを通して観客も自分の人生を投影すると思う。そういう自分の人生と照らし合わせて次の日からの何かがチョコっとだけ変わっていく。そういう演劇を届けたいなと思っています。
Q.最後に、「冬のサボテン」の 意気込みは聞いときますか。
まずはとにかく、演劇が身近にあることを感じて欲しいです。
それは「演劇」ってソフト自体が人間を描いてるわけだから身近っていうこと。そして値段も安く。観終わった時に胸の中に蠢いてる思いを、下北沢の飲み屋で一緒に観た友達や恋人とワッと吐き出してほしい。今の演劇の相場が6千円くらいだとすれば、観て飲んで同じくらい、そんな感じにしたいんです。(主催側としては資金集め大変なのですけどね。協賛者、本気で募集してます笑)
あと、今回は、ワークインプログレスということで長期創作に挑んでます。3月頭から稽古してもう台詞も入れてます。作品のハードルは高いですが、丹精をかけて作り込むことで、作品本編にも必ずやそのエネルギーが宿ると信じてます。
今回はLGBTがテーマとなっているので、当事者の方と関わって作品を作っていきたいなと思ってます。例えば男同士で絡むシーンなんかに関して、僕らには分かり得ない事が沢山あるんです。そういうとこは、スペシャルサンクスの青山吉良さんなど沢山の当事者の方から意見やアドバイスを聞いて練り上げたい。インタビューやアフタートーク、可能な限りHP等で皆さんが僕らが体験したものを出していきたいですね。
そして、そのためには様々な方の協力必要・・ということで、今回段くんにもインタビュアーとして協力をいただきました笑、これからも巻き込むのでお願いします!
段:了解です笑一緒にがんばりましょう!ありがとうございました!