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ありがとうチェーホフ!ありがとう演劇!

明日、千穐楽を迎えます『しんゆりシアター「三人姉妹」』。 約50日間、チェーホフと格闘しました。 チラシが完成して僕が通う日本舞踊の稽古場に貼らせてもらったところ 「えー、チェーホフって聞くだけで退屈そう。」と言われてしまいました。 言い返せない自分も悔しい上に、「スッとチェーホフって分かってくれるんだ。。」と変な喜びを感じたのも覚えてます。   そう、チェーホフは退屈なんです。僕も新国立劇場でピッコロシアターにいらっしゃる島守さんに教わるまでは心の底から「つまらない」と思ってました。 ところがどっこい、こいつがめちゃ面白いんです。 斜めった人生観や、何より圧倒的な観察眼から生まれるリアリズム。 チェーホフ作品の稽古・本番中はよくプライベートや休み時間のふとした会話で「え、いまのやり取りめっちゃチェーホフっぽい」と思う事も多々あります。 確かにダイナミズム溢れるドラマこそ少ないのですが、100年以上世界演劇のトップランカーである必然性は確実に存在します。

  じゃあなぜつまらない・退屈・難しいのか? きっと、『めちゃ細かい』からだと思います。 以前、先述の島守さん(ご本人、お父様も含めてロシアにてチェーホフのスペシャリスト)に聞きましたが、ロシアではチェーホフを10年間近くロングランする劇団が存在するくらい、チェーホフには時間をかけるんだそうな。 なるほど納得。 明日千穐楽ですが、帰りの電車で「あそこってこういう解釈の方が良いんじゃない?」ていうのが、次々出てきます。 きっとそこに絶対的な正解は無く、稽古で頭と身体を使って沢山試した上で観客と同じ空間で何度か流してみた上で、見えてくるのです。   僕は、幼少時代から殆ど読書をせずに育ってしまいました。 しかし今は数日に1作は戯曲を読み、週に1度は芝居を見て戯曲に触れています。 読書の素晴らしさを語るほど経験は無いですが、戯曲においては思う事あり。 戯曲は、作家と会話している感覚がとても強いです。 きっとこれは読書も同じでしょう。戯曲の大きな違いは、身体を通していること。俳優はもちろん、そうじゃない人においても、戯曲は「声に出す事を前提として」書かれています。 また、小説家でもあるチェーホフは戯曲と小説の大きな違いについてこう言ってます。 戯曲は『価値観の並列化』だと。  

小説は多少群像で書かれていても、キャラクターの心情を表現するうちに、作品全体の価値観をキャラクターが担っていくことになります。 しかし、戯曲は価値観が完全に並列化出来るのだと。 チェーホフの作品はまさにそう。どのキャラクターの価値観も等しい分量で存在し、作品全体のメッセージとなります。オリガ・マーシャ・イリーナの3人と僕が演じるローデ。出番やセリフの量こそ大差あれど、戯曲において彼らの価値観は等しく存在しています。   だらだらとまとまりがなく書き連ねました。。 言いたいことはシンプル。。幸せなんです。   「三人姉妹」を調べるうちに何度も『二十世紀最高の戯曲』と呼ばれてました。 「そうか?」と思う時と、「そうだ!」と思う時がありますが、少なくとも“名作”というやつなのでしょう。 さらに今回は文学座・俳優座・民藝・青年座・新国研修。。いわゆる新劇系の大先輩方と50日間チェーホフについて考えまくる。この日々は今後の僕の演劇人生にとって宝になるでしょう。   そんな日々が明日で終わります。 とにかく瞬間と相手役に集中して、真摯に思い切り演じようと思います。   おやすみなさい。打ち上げ楽しみ。

 
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