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俳優×衣裳家ということ

井上ひさしさんの言葉

僕は洋服に囲まれて生活してきました。なぜなら両親がファッションデザイナーだからです。

16歳で親の会社で衣裳助手のバイトを始め、その仕事を経るうちに「俳優」という仕事に惹かれ始め18歳で初舞台を踏ませて頂くことに。それからは衣裳助手の仕事を少し控えるようになり、周りの演出家さんから「海史、衣裳プランニングやってくれないか?」と頼まれた事も少なくありませんでしたが、「僕、俳優なんで。」という謎の突っ張りでほとんど断っていました。

そうこうして俳優一本で活動して数年、ある作品と出会いました。こまつ座「きらめく星座」です。井上ひさしさんの言葉はあまりに柔らかく鋭く僕の胸を刺しました。戦争で国の風向きが大きく変わる中、オデオン堂の登場人物達の生き方はあまりにたくましく、オリジナルで、キラキラしていました。

僕は”衣裳”という仕事に対して親の”衣をかる”ような気がしてずっと引け目を感じていたのだと想います。しかし言ってしまえばずっと衣をかってきました。俳優という仕事をやらせてもらえてるのも親のおかげに違いありません。井上ひさしさんの言葉は、26歳の人間にとって”後ろめたさ”や”引け目”なんかよりも”思い切り”や”生き方を決める”ことがよっぽど大切なことに気づかせてくれました。

そして2017年11月より、本格的に衣裳家という仕事を始めることにしました。

絵・手縫い・ミシン・パターン引き・ファッション史・エトセトラエトセトラ…

ファッション学校に通っていない僕にとって”衣裳家”とはあまりにハードルの高い仕事でした。学ばなくてはならないことが山のようです。俳優としての稽古事や本番を踏みながらこれを並行するのは並ではないことはすぐに実感しました。しかし武器が何も無いわけではない。縫い物やミシンは昔から触れてきたし、衣裳を作る場も着せ付ける場も嫌というほど見てきました。そして何よりこの家庭環境を活かさない手はありません。毎日絵を習って、毎日服を作りました。それは今も続いています。僕に万が一にも何かしら光るものがあるのなら、それを活かすには他でもない技術が必要です。

俳優ですらそうであるのに、もう一つ、大きく鍛錬が必要なものに手を出してしまいました。

 

俳優として着たい服を作る

俳優×衣裳家。その2つの目線があることは僕の数少ない強みの一つです。俳優にとって衣裳がどう作用するか、身をもって知っています。

細かいところまでこだわること。衣裳家にとっては何着もあるうちの一着でも、その俳優にとっては一張羅かもしれません。そして俳優の喜びは作品に作用して、観客の元に届きます。作品に、観客に作用する以前に俳優にとってその衣裳がどう働きかけるのか。そこにはこだわり続けたい。

以前やらせて頂いた「タイピスト」という作品は、一幕の間に登場人物が20代から老人まで数段階で変化する、というとても面白いものだった。”老化”というものをどう衣裳で表現するか…演出家さんと熟考した結果、「体型が変化する」というところに重きを置いた。男性は若い頃には胸板が厚く、中年では腹が出て、高齢になるとそれらがすっかり無くなる。女性は年を経るごとに胸は下がり、お尻は大きくなり、ヒールは無くなりスカート丈は伸びていく。多くの変化を面白がってくださった俳優さん2人と演出家さんには頭が上がりません。

ですが、自分だったらそれが楽しいと思うのです。肉布団とはいえ体が変われば自然と俳優の芝居は変化します。ヒールが無くなり重心が変われば俳優の姿勢はガラッと変わります。俳優にとって、作品にとってそれが一番の”ワクワク”であってほしいと考えます。

衣裳を始めることで僕の俳優としてのスケジュールの自由は多少なりとも減ってしまいます。俳優としての僕を支えてくださってる所属事務所、マネージャーさんには申し訳なさと感謝でいっぱいです。

しかし、この”衣裳”という要素が僕に演劇人として造り手としての豊かさを与え、それが俳優としての強みに繋がると確信しています。”俳優”も”衣裳”も、もっと言うと”演劇”も、いわばツールなんです。ただ、人の胸に届く豊かなモノづくりをしたいんです。その想いを胸に、これからも精進致します。

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