今日、70年の歴史に幕!
ものすごく身内の話、というか、大森山王という地域に関わりのある人にしか響かない話かもしれない。でも記しておこうと思う。
今日、現代山王史では絶対に欠くことのできないピース、スーパーカドヤが閉店する。このスーパーの歴史はなんと70年!僕が生まれる遥か昔から営業していたことになる。
まずはスーパーナガサワ。大森駅北口に10年以上前にあったスーパーだ。おそらく僕が小学生の頃に閉店してしまった記憶がある。
二つ目はダイシン百貨店。この百貨店は意外と有名なので知っている人もいるのではないだろうか?
僕はダイシンの5階にあった食堂でハンバーグ定食を食べるのが大好きだった。
しかし時代の波に押され、数年前に閉店。ダイシン百貨店の建物と営業形態を引き継ぐ形でドンキホーテグループの傘下に入り、現在はメガドンキになっている。
そして最後に閉店することになったのが、スーパーカドヤである。
今回の閉店は色々な事情があったように思う。近くに巨大なドンキホーテが出来てしまったこともあるし、他のスーパーに比べて若干の高級路線をとっていた為に経営が徐々に苦しくなったり、本当に色んな要素が重なっての閉店だろう。
個人的にカドヤへの思い入れが非常に強い。
小学生の頃からおつかいに来るのはカドヤだったし、大学生の頃にはカドヤでバイトしていたし、友達の誕生日にカドヤのエコバックをプレゼントしていたりした。(これは我ながら狂ったほどのカドヤ愛だと思う。)
バイトの時の話を書こう。
僕は当時、大学一年生。牛丼チェーン松屋でのバイトがなんだか上手くいかず、三ヶ月で退社した。
僕はとにかく家から近い所でバイトをしたいと思い、何の気なしにカドヤのホームページを見てみたら、レジ係のバイトを募集していたのである。
そして何の気なしに応募して、何の気なしに面接に行って。
しかしカドヤ側としては僕の入社が何の気なしでは済まないことになっていたと後になって知らされた。
「実はね、中西君、魚売り場に引き抜かれそうになってたのよ。」
それを聞いても、何のことか正直全く分からなかった。
「どういうことですか?」
「面接が終わった後、魚売り場の人にどうしても男手が欲しいって言われてね。でも中西君は絶対にレジ係でもらいますって、奪い合いになってたんだから。」
僕は知らないところでレジ係のお姉様方から守られていたらしい。なぜ守ってもらえたのかは分からないが、魚売り場はお客として見ていても、明らかに体育会系のノリだったので、正直なところ、行きたくなかった。
こうして僕は、70年というカドヤの歴史上初めての男性レジ係になったのである。
その後、僕は新国立劇場演劇研修所に進むことが決まり、カドヤを退社することになった。
それからの数年、新しい男性レジ係のバイトが入ったり、レジの機械が全自動になったり、カドヤも色々と変わり続け、その様子をお店の外から客の一人として見守り続けた。
そして閉店を知らせるチラシがポストに入ったその日、僕は久しぶりにカドヤに買い物をしに行った。
すると店内には溢れんばかりの人、人、人。自分がこんな日にレジ係をやっていたら途中で酸欠になるだろうなと、ふと思ってしまった。
レジには長蛇の列。会計するのに20分くらい並んだだろうか。
僕が通されたのは6番レジ。そこにはカドヤでバイトを始めた時に一番色々教えてくれた松澤さんの姿があった。
「久しぶりね!」
「ご無沙汰してます!」
「顔見ただけで中西君だってわかったわよ、痩せた?」
そこにはいつも通りのカドヤの空気が流れていた。
気取った接客はしない。お客さんと同じ目線に立って、たわいもない会話をしつつ素早い手際でレジを打っていく、そんな空間。
これは僕だからそうだったわけじゃない。どのお客さんにもひらけた接客をしていく。
レジが打ち終わる時間が迫っていく。
「ちゃんと俳優やってるの?」
「やってます」
「それは良かった。陰ながら応援してます。」
「はい、頑張ります。」
そして会計が終わる。
「ああ、こうして街が変わっていくんだ。」
何の気なしにノスタルに入ってしまった自分がいた。
時代が変われば、土地も変容していく。“ずっとそこにある”なんてのは幻想だ。
今を大切に生きろってよく言われる言葉だけど、まさかカドヤにそれを言われる日が来るとは。
なんでこんなことを思ってるのか、さっぱり分からないけど、僕は俳優としていつかカドヤに恩返しをしたい…「したかった」って言葉になっちゃうのか。こういう後悔をしないように生きていかねば。
カドヤはもう無くなっちゃうけど、山王という街を、山王の台所を70年も支えてくれたことに最大限の感謝を。
本当にありがとうございました。
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